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大阪南地区 野宿者支援
釜ヶ崎に行く前日の夜、主人の姉さんから久しぶりの電話がかかってきて「明日、お彼岸だから家に行く」とのことでした。未信者の主人は「かまへんから釜ヶ崎に行ったらええ、気のつかう者が来るわけではないから」と言ったので私は気が軽くなりました。今日、朝早く娘から電話がかかり昨夜、小学3年の孫が40度近い熱を出したので主人は病院に孫を連れて行くことになった。そして、主人は電話で姉さんと時間の打ち合わせをしていました。こんな状態の中から、釜ヶ崎へ行くことになりました。優しい哀れみ深い神様は、困っている弱い立場の貧しい人を一番に、現世においても、あの世においても、大切にしてくださっていることを私は悟りました。金持ちとラザロの話、この世で与えられたものに大きな差があり日々の生活の中で、金持ちはこの貧しい人に気がつかず心の鈍い者となり地獄に行った。この金持ちの贅沢な食卓からこぼれ落ちるもので腹を満たしたいと思ったラザロは天国に行った。祈りを通して、みんなの善意の中でお互いに生かされ、心鈍い者にならないように真の命の道を気づかせてくださり、神様の現存を感じる貴重な一時であった。現地に着くと「今日、女性軍は少ないなぁ」と言われたので辺りを見渡すと金剛教会からの二人だけでした。が、一人の若い女性がいたので何処の教会の人かと思い声をかけました。彼女は東京の学生でした。春休みで、後3,4日大阪にいるそうです。私は彼女に「遠い所から来て、釜ヶ崎の労働奉仕に一人で参加して、あなたは若いのに偉いね」と言いました。彼女との短い会話から私は精神的な力強さをいただきました遅れて堺教会から二人、シスターが一人来られ人数も増えて賑やかになり、神父様や奉仕に集った仲間達との協働による作業も楽になりました。萩之茶屋商店街で主人の大好物の沖縄名物の揚げお菓子を見つけ買いました。そして帰路に着き、これが私の「共に労働の今日」という人生の旅路の一頁です。(2007年3月13日 50代女性)
2006年10月 釜ケ崎労働奉仕体験 金剛教会
今日は2回目の釜ケ崎労働奉仕に参加する日。4時頃から朝早くから参加されている方、いろいろな役割を皆で関わり、助け合い、、、朝起きるといろんな事を思いめぐらしました。そして、参加されている皆に本当に頭が下がる思いです。自分の存在の小ささをつくづく思い知らされた朝を迎えました。そして、急行電車に乗ると私の前に座っている人は今日の労働奉仕に参加する友でした。びっくりすると同時に偶然の出会いをお互いに喜びあいました。現地三角公園に着き準備にかかると「金剛教会から男性が来はったで」と大きな声がしたので誰かと思いました。白いエプロンをかけた品のいい初めてお目にかかる年配の男性でした。そして私は側に行き皆さんに配る前の試食の味を聞くと「美味しい々、美味しい々こんなに美味しいのか」と言い連発のその言葉は周囲の雰囲気を和ませ、初めての参加とは思えず皆に溶け込み奉仕され、私はその方の人柄の純粋さのお陰で皆が一つになる聖霊の暖かい恵みを感じさせていただきました。この方のことは帰宅して分かったのですが、信者名簿になく勉強中だったが、しばらく体の容態が思わしくなく教会に来られなかったそうです。たまたま来られ釜ケ崎の事を知ったとのことです。体の調子のいいときにはこれからも労働奉仕に参加されるそうです。人とのいい出会いに感謝です。(女性50代)
釜ケ崎での炊き出しに参加して
先日釜ケ崎での炊き出しに参加しました。以前一度行ったことがありましたが、そのときはちょうど冬休みで遠方からの学生がたくさん来ていたので、何もすることがありませんでした。今回は泉尾ブロックから5人でお手伝いをしました。責任者の方の指示でご飯をよそう係り、できた食事を渡す係り、お皿を洗う係りに分かれました。私の役割はご飯をよそうのを手伝う係り、つまりどんぶりを渡したりご飯をほぐす係り。仕事として見ればとても小さな仕事ですが、ご飯をつぐ人が少しでもつぎやすいように気をつけながら、また食事をもらいに来るおっちゃんは大勢おられます。「怠けている」などと言う人もいますが、どういう理由でこのような生活をしているのか私(達)にはわかりません。おそらく一人ひとり様々な事情があることと思います。だから、そういうことは今は問題ではなくて、こうして今日温かいご飯を食べてお腹をみたしてもらったらそれでいいと思いました。私達ボランティアからも何か温かいものを感じてもらえたらいいなとも思いましたが、それはまだまだ足りないので次に行く時には心がけたいと思います。これから寒い冬が近づいてくるので、家のない人々にとってはとても大変な時期だと思います。大したことは何もできないけれど、釜ヶ崎のおっちゃん達のために祈り、小さなお手伝いをしたいと思っています。(Sr.N)
西成三角公園
慣れたひとは、此処を三角公園と呼びます。本当の名前は萩之茶屋南公園。たまたま三角形の土地の形からそう呼ばれたのだと思います。この小さな公園に驚くほどのおっちゃん達が集まってます。今日は「勝ち取る会」主催の炊き出しの日。週二日ボランティアの人たちによっておおきなおなべでグツグツとたくさんのお野菜やお肉が調理されます。軽く1000人分は有るでしょうか?真っ白なご飯のうえにこの"ごった煮”をかけて食べます。お昼になると公園の中央には長い列が続き、最後尾はどこだかわかりません。「こんにちわ!」「どうぞー」「おいしいですよー」おっちゃん達の顔は、さまざまです。無言で受け取る人、「ありがとう」と声をかける人、はずかしそうにうつむきかげんの人、ときどき胸が熱くなります。暑い夏が終わり、おっちゃん達につらい冬が、やってきます。なにか出来る仕事は、ないですか?(住之江教会
Y.K)
南地区信徒全員で「釜ヶ崎炊き出し支援」を行っています。2005年9月25日の社会活動委員会で「釜ヶ崎炊き出し支援」が決まり、宣教評議会の了解を頂きました。釜ヶ崎では3箇所で炊き出しをしておりますが私たちは「三角公園での炊き出し支援」に限定して、次の3点のことを行います
1.毎週火曜日土曜日に労働奉仕(11:30〜13:30)
2.食材献品
3.食材購入のための献金
支援強化期間は2005年11月〜2007年3月
労働奉仕担当ブロック
2005年11月:泉尾 12月:堺 2006年 1月:かわち 2月:阿倍野 3月:玉造 4月:泉尾 5月:堺
6月:かわち 7月:阿倍野 8月:玉造 9月:泉尾 10月:堺 11月:かわち 12月:阿倍野 2007年 1月:玉造
2月:泉尾 3月:堺
*地区社会活動委員会・大阪南地区のページに詳細報告があります。
<釜ヶ崎三角公園炊き出しボランティア体験報告>
堺ブロック
金剛教会
・先達ては有意義な体験をさせて頂き、幼き頃の時代がオーバーラップし、祈りながら涙しました。今の時代のプロセスを思い巡らし、胸がつまりました、、、が、幸せの中に神様の働きを実感しました。日頃、雑用に追われ、忘れがちな寄り添うことの大事さをそっと教えてくださったようで感謝でございます。(主婦70才)
・5月23日(火)は、あなたのおかげで、釜ヶ崎の三角公園の炊き出しを体験できました。毎週出ている堺教会の広田さんに比べると、たった1度ですが、いい体験でした。10月の時には声を掛けてくださいね。感動有難う。 (主婦67才)
・主人にボランティアの行き先を告げた時「西成か、怖いとこに行くのやなあ」と言われましたが、失業者の多い現代の厳しい状況は、去年まで働いていた主人の方が良く知っているので何も言いませんでした。支援詳細の注意事項を頭に入れて、現地に着くと、料理など全て出来ていて後は、私たちの流れ作業の配膳のお仕事でした。皆の幸せを願い、マリア様のお祈りをしながらご飯を一心に盛っていきました。そして、そのお茶碗や、ご飯が無くなりかけるとタイミングよく出てきました。あっという間に時間が来てしまいました。疲れも無く、さわやかな心で帰宅しました。主人が「どうだった」と尋ねましたので、「行ってよかった」と答えました。何事も体験だと思いました。 (主婦59才)
・以前から行ってみたいと、希望していました。職の無い何百人の大勢の人を見て、これが大阪の現実なのだと思いました。そして私でも何か出来ること無いかしらと考えている。 (主婦76才)
堺教会
・「こんにちは」 「はい、お待っとおさん」 「はい、今日は牛丼風」 威勢のいい声を背後に、あったかい丼が次々に手渡されていく。手製のキムチもそっと丼のすみに添えられる。「釜」は元気だ。とてつもなく強い。そして優しい力が働いているから不思議だ。食べる人、準備する人、どちらも飾らず偽らず差出し、そして受ける。そんな姿を垣間見ながら。私はひたすら容器にぎゅうぎゅう詰めになっているご飯をおしゃもじをたぐりながらほぐしていった。1460杯の丼の次は雑炊、最後は大きな三角おにぎり60個。「本日は終わりだよ」の声を聞くのは2時間後。動きの鈍くなった腕をさすりながら、私は今日も来てよかったなと力をもらい、うれしくなるから不思議だ。でも、本当は炊き出しのなくなる日がいつか来るようにと祈っている。みんな少しずつ仕事があり、自分の食べたいものが食べられ、家族が共に暮らせる、そんな社会が実現するようにと願いながら帰途に着いた。 (修道女77才)
・この度は火曜日と言うことで偶然時間も空いていて健康にも恵まれて私のような物でも必要として頂く喜びで参加させていただき、とてもいい体験をさせて頂き、人と人との関わりを強く感じました。他のボランティアの方々にも頭の下がる思いがしました。神に感謝。 (F.K 69才)
・私が始めてボランティアをさせて頂きました時のことを私は忘れることが出来ません。それは沢山の方々が忙しく働いておられる雰囲気に圧倒されてしまったことです。私はただ下を向いて夢中で皆様のされる通りにご飯の配膳のお手伝いを致しました。配膳する前に作っておられる方々が思い思いにお茶碗にご飯を入れておかずを上に乗せて食事されておられました。「岡田さん食べて」そう誘われましたがその気になれずただ下を向いたままでした。このことに関しては反省しました。2回目からはありがたく皆様と一緒に食事をさせていただき、ようやく皆様と歓談できるまでに余裕が出てきました。後から神父様やシスターが手伝いに来てくださり私たちは一つであることを心から実感致しました。この事業がずっと続けて行けるよう、私は微力ながらお手伝いできればと願っています。(主婦 64才)
・私たち配膳のメンバーは午後12時位に到着すればよいが、材料の仕込みに携わる人は朝4時や5時に参加されていると聞き頭が下がります。そして並ぶ人の多いことにびっくりする。15年ぐらい前聖書グループにいた外国人の神父様が釜ヶ崎支援のやり方を皮肉られていたのを思い出す。体質が20年来変わらない。もっと行政に働きかけることが大切、日雇いという雇用の仕方、強いては日本の社会的構造を変える必要があるとか。難しい問題です。その頃から当教会のご婦人方はチームを組んで「出会いの家」へ夕食作りのボランティアに参加しておられた。現在は年齢が加算されている。メンバーが増えないからこの先が憂慮される。こういった所に今やっているこの社会活動委員会の活動がネットワークされて補充されていったらと思う。また他の支援団体とも密に協力できたらと重ねて思います。(男性)
・公園にいる人たちは驚くほど固まっている。動かないのでそう見える。もう何日も食べ物を口にしていないのだろうか。敗戦国日本は高度成長期とともに世界に類を見ない先進国としてのし上がりそれから30年、米国薪をくべられ、燃えくすぶり一度も後ろを振り返らなかった、もしくは知らぬ顔をした国の欲と益の裏側の最も弱い立場の人たちなのだ。炊き出し小屋には活気がある。あの人たちのお腹を満たさなければならない無償の使命という薪で燃えているからだ。炊き出しの中心となる方は、明け方から仕込み、にんじん、かぼちゃ、等その量たるや半端ではない。炊いたお米のほかに災害米がずらっと並べられている。人的災害というべきか。いつ誰がお世話にならない保証なない。ここには人間としての究極の世界がある。12時きっちりに「おまっとーさん、おいしいでー、食べてやー」の明るい大将の声で後尾の見えない列ができ、一人ひとりに「こんにちはーどうぞー」と声をかける。私たちの作業はあの小屋の中でたった2時間あまりの作業だけ。あの人たちが顔の前で合掌してくれても、してくれなくても、私はこの人たちに謝らなければならないような、お返ししなければいけない気持ちで、私が癒されて帰ってきたのは事実である。心がひとつになった時、神さまは約束どおり聖霊をふりそそいでくださる。あの列のかたすみで何も云わずに生きたイエスさまがいらっしゃるから。(女性 40代)
「釜ヶ崎炊出し」に参加して
三角公園の名前はよく耳にしていたが実際訪れるのは初めてだった。「皆知っているからすぐ分かる」という言葉で安直に考えていたが、新今宮を降り立って駅周辺の人に聞いたが、意外にわからなくてようやく通行人の一人から教えてもらい、その道順を歩いて行った。ツンと鼻をつくにおい、まだ開店まばらな延々と続く屋台、時々ゴロンと横になっている人にも気をつけながらようやく目的地にたどり着いた。テント付近にはすでにたくさんのボランティアの方が働いておられた。ジリジリと照りつける太陽、大釜を炊いている炎で相当な暑さである。食事の支給は12時からということでそれまでに先輩の方から手順を教わる。いざ時間がくると考える間もなくただスムースに仕事が捗るよう必死にご飯をよそう事集中。具がなくなったらおむすび作りと言われるままに夢中で終わった数時間だった。2回目は馴れもありリズムにのり、終えることが出来たように思った。手を忙しく動かしている時は考える余裕がなかったが、一人になった時給食の順番を待つ深くしわが刻まれ日に焼けたおじさんたちの顔が目に浮かんできた。かつては故郷も家族もあっただろうに、いろんな事情で社会の片隅に追いやられた人たち。普段仕事にあくせくしている私にとって何ができるというのだろう。こんな微力が加わっても何の役にも立たないかもしれない。しかし同じ人間として無関心でいることは出来ない。せめて自分に出来ることをやらせて頂く事が、どのように生かされているかを気づくきっかけにもなるのではないかと思った事でした。貴重な体験をさせていただきありがとうございました。(玉造教会 志賀泰子)
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